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大須賀淳
2025.12.10 14:17

「手段の違い」は相対化できない(山尾志桜里さんへ)

山尾志桜里さんのXポスト。

 

こちらに対して引用ポストした私の文面を、ブログにも記載しておきます。


今の皇室(皇位継承)の問題における「手段の差」は、相対化できない絶対的な部分です。

 

山尾さんは「旧宮家系子孫男系男子の養子案」という「手段」を、

・憲法14条違反(門地による差別)の疑義

・「男子誕生プレッシャー」の継続

・意思を持つ対象者の存在が不明(立法事実が無い)

・受け入れ先の皇族が存在するかの疑問

・今上陛下の直系(愛子さま)よりも、「男系」では室町時代まで遡る男子を重んじる。

・親の代から一般国民である人を、婚姻を経ずに皇族とする事の国民理解。

・ご発言やお振る舞いから、上記のような事を天皇陛下や皇族方が望まれていると拝察できるか。

 

制度的・心情的な両面における上記のような問題(細かく見ればまだまだ存在する)を抱えていながら、「性別を問わない直系長子優先の継承」とフラットに並べられるものと評価するのでしょうか?

 

しかも、この問題は若い世代の皇族の皆様の将来を左右する一刻の猶予も許されない状況にあり、その議論に臨むのであれば、一見フェアに見える「フラットな立場」は、何も言っていないに等しい、いや、むしろ「卑怯」な態度にすらなり得ます。

 

切羽詰まった(しかも公開の)議論におけるリスペクトとは、相手の主張をなあなあで流す事ではありません。相手と本気で対峙すればこそ、熱をもって自身の全霊をかけた態度を示さねば、全ては欺瞞となってしまいます。

 

繰り返しますが、皇統問題に関する議論は「どっちも有りな手段の議論」ではありません(そんな事、山尾さんがわかっていないはずは無いですよね)。そして、番組といった公開議論の場において、訴えっかけるべき相手は「共演者」ではなく観客(=国民)です。

 

「世間に日和った価値相対」は何も生み出さない(むしろマイナス)ですし、それでは「山尾さんでなければならない理由」が無くなってしまい

大須賀淳

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